ウクレレのルーツと歴史

ウクレレのルーツと歴史~ウクレレ誕生から今日までの歩み~

 

ウクレレは「いつ」「どこで」生まれたのでしょう?

そして「どのようにして」私たち日本人にとっても、身近な楽器として親しまれるようになったのでしょうか?
 
 

ウクレレってどこから来たの?

ハワイの楽器と言われるとおり、ウクレレは常夏の島・ハワイから現在では世界中に広まり、多くの人たちを魅了する楽器となりました。しかし、その起源はヨーロッパのポルトガルという国に端を発しています。

今からおよそ140年前の1879年8月、ウクレレの元となるブラギーニャという小型の弦楽器が、ポルトガルからの移民によってハワイへ初めて持ち込まれたという記録がハワイ州当局に残っています。(ハワイではポルトガル人がハワイ移民局に移民登録を行った1879年8月23日を記念して、8月23日を「ウクレレの日」と定めています。) 

そのポルトガル移民たちの中には職人もいて、故郷の民族楽器ブラギーニャを、ハワイに自生する木「コア」を使って作り始めました。それが、後にハワイの楽器として親しまれることになったウクレレの起源です。以降はハワイで独自の改良が重ねられ、現在のウクレレへと進化していきます。

 

 

そんなウクレレがハワイの外へと羽ばたくのには、1911年にハワイで創業したクマラエウクレレが一役買っています。サンフランシスコで1915年に開催された「パナマ太平洋博覧会」でクマラエウクレレが金賞を受賞し、それをきっかけにアメリカでハワイアンブームに火が付き、ウクレレの普及が進みました。

 
 

そして、日本でも…

では、そのウクレレが日本に入ってきたのはいつ頃なのでしょうか。

日本に最初どのような伝わり方をしたのかは定かではありませんが、漁業に携わっていた人たちがハワイに立ち寄った際に手に入れて、日本へ少しずつ持ち帰ったのではないかという説があります。

そして、アメリカでの流行を追う形で日本でも1920年代にはハワイアンブームが起こり、国内にもウクレレが広く普及するようになってきました。

その後は戦時中などブームが影を潜めた時期がありましたが、1960年代には「あ~やんなっちゃった♪」で有名な牧伸二さんや、「若大将シリーズ」の映画でワイキキの浜辺でウクレレを弾いた加山雄三さん等の活躍もあり、再びウクレレが注目を浴びるように。

1980年代の後半からは、ウクレレの神様ことハーブ・オオタ氏(オータサン)が毎年のように来日し、OHTA-SAN STYLE と呼ばれる独自のウクレレ奏法で多くの日本人にウクレレの素晴らしい魅力を伝えてくれました。
ハワイアン音楽だけにとどまらず、ジャズ、ラテン、クラシック、ポップス、ロックなどあらゆる種類の音楽を、ウクレレ一本で演奏するというスタイルは多くのミュージシャンにも影響を与えました。
オータサンの貢献によりソロ楽器としてのウクレレの可能性が大きく広がったのもこの時期です。

 

 

2000年には、現在まで毎年続いている日本最大のウクレレイベント ウクレレピクニック が初開催されました。第1回目より日本ウクレレ界の第一人者である関口和之さんがプロデュースしています。現在は横浜赤レンガ倉庫で開催されていますが、第11回目の2010年までは同じ神奈川県内でも異なる会場でした。(第1回~4回:逗子マリーナ → 第5回:観音崎京急ホテル → 第6回~11回:長井海の手公園ソレイユの丘)
僕は第4回(@逗子マリーナ)のときに初めてウクレレピクニックに参加し、とても楽しくて感動して、その後10回目くらいまではほぼ毎年足を運んでいました。
2009年からはハワイでも、ウクレレピクニック イン ハワイ が毎年開催され、ハワイはもちろん、日本や世界中から多くの人が集まり、大いに盛り上がっています。
 
 

ウクレレという名前の意味と由来

 既に耳慣れた「ウクレレ」という名前ですが、これはハワイの言葉・ハワイ語で、「UKU」 と 「LELE」という二つの単語が一つになってできたものです。

最もよく知られているのが、UKU=「蚤(のみ)」+LELE=「跳ぶ」で、「飛び跳ねる蚤」という意味。この楽器を弾く素早い指の動きが飛び跳ねる蚤を思い起こさせるところから、この名前がついたという説です。

もう一つ別の説もあります。
UKU=「贈り物」や「支払い」+LELE=「やって来る」で、「到来した贈り物」という意味。つまりポルトガルからハワイへの贈り物、という意味です。これはハワイ王朝で最後の女王だったリリウオカラニの解釈だそうです。音楽の才能に秀でていたというリリウオカラニ女王ならではの気品ある解釈で素敵だなと思います。